光加熱・熱風加熱ヒーター製造・販売 有限会社フィンテック

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私とハロゲンランプとの関わり

ブログ2015/06/29

私が初めてハロゲンランプを見たのは工業高校を卒業してウシオ電機に就職したときだった。そのあまりの出力密度と高温に驚いた。なにしろφ20mmくらいの石英ガラス球体から650wといった光パワーを放射する。小さな太陽みたいだった

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 100v-2500wハロゲンランプ

U社では最初、主にコピーマシン用の露光用ハロゲンランプとトナー定着用のハロゲンランプヒーターの試作開発に関わったが、最初の仕事はフィラメントの試作だった。 その後も色々なハロゲンランプの開発に関わったが、約5年後に上司に誘われて新会社設立のために退社した
フェニックス電機になってからは、ランプの製造設備を1から作った。まずフィラメントその他の組立はコンデンサ式溶接機があれば何とかなった。次の工程は薬品処理を経て水素還元炉。これは小さな炉屋さんに作っていただいた円筒形のトンネル炉だ。 太い石英管の中に処理対象物を入れて水素を流しながらトンネル炉の中に20分間程度入れて還元により酸化物を除く
次が封止工程。石英ガラスを酸素水素炎か酸素プロパン炎で2000℃程度まで焼いて軟化させ、金属ブロックを押しつけてつぶす事により封止(気密を保ちながら電気導入する部分)を行なう。ハロゲンランプ作りではこれが一番難しい
なぜなら石英ガラスと膨張率が一致する高融点金属材料が無いので、気密を保つためには30μm以下の薄いモリブデン箔に十分に軟化させた石英を圧着する事により気密を保ちながら電流導入部をつくらなくてはならないのだ。そのためには内部を酸化させないように保護ガスを流しながら強烈なガスバーナーで焼くのだが、一瞬でも内部に炎が入るとアウトだ。 箔は薄いので、 圧着時のガラスの流れで簡単に切れてしまう
最初は回転バーナー式の機械を作った。しかし作業性が悪いので後に固定バーナー式にした。今になって思えばこれは良策だったかどうか分からない。確かに固定バーナー式は手動機でも生産性が高い。両端封止型ランプでも一人で500本/日程度作れた。しかし焼きの均一性では回転バーナーには及ばない。ランプの出来ばえはもう一つだったと思う
次の排気、ガス封入工程だが、ガスは混合ガス方式とした。これは不活性ガス(Ar+N2とかKr+N2)に臭化メチレン等の臭素化合物を千ppm程度混ぜたものだ。コスト低減と、自分で作れば色々なチャレンジができるので、47Lプロパンボンベを使い、その一部にシリコンゴム部分を作り (場所は安全弁を利用)、そこから注射器でボンベ内に直接臭素化合物を注入する方式を採用した
まず加熱しながらボンベ内を真空引きし、不活性ガスを+0.2気圧程度入れる。そこに注射器で液体のハロゲン化合物をゴム部分を介して注入する。その後、不活性ガスや窒素を所定の比率で約20気圧まで充填する。これで半日以上放置して均一に拡散混合されるのを待つ。急ぐ場合にはバーナーで加熱して転がす
今思えば安全性など全く無視したやり方だ。その当時,状況だから許された方式だろう (許されたと言って良いかどうかも疑問)  

排気,ガス封入機械は回転ポンプと拡散ポンプを使用して、マニホールドにバルブを多数(20~40個)付け、その先にランプの排気管をチャックできる機構を付けたものだった。真空にして空気を抜き、水素を導入して加熱して酸化物を除き、また真空にしてからマニホールドを通して混合ガスを導入し、個々のバルブを閉める
今にして思えば1ヘッドあたり2バルブとして、又は切替バルブとして真空にする経路と混合ガスを導入する経路を別々に設けておけばマニホールドで無駄になる混合ガスを無くすことが出来た。高価なKrガスやXeガスを使う場合にはこれは必須だっただろう
封入圧力は約3気圧なので、そのままでは内部圧力が高く排気管を焼き切ることが出来ない。そのためランプを液体窒素(-196℃)に浸けて内部気圧を下げた上で排気管を酸素水素バーナーで焼き切る
ランプ解説,製造方法全般   http://www.fintech.co.jp/sah/qir-frame.htm
ランプへの高圧ガス封入方法  http://www.fintech.co.jp/img/haiki.html


上記がハロゲンランプの作り方の初歩的な方法の概要だ。しかし現在ではハロゲンランプの照明への用途は完全に絶たれた。高輝度の白色LEDが出来た今となっては発光効率がLEDの1/5以下で寿命もLEDの1/20程度しかないハロゲンランプは存在理由が全く無い
ライバルが蛍光灯やHIDランプだけだった頃はハロゲンランプも瞬時点灯できる高輝度で手軽な高演色光源として、発光効率の低さや寿命の短さといった短所をある程度カバーできたので結構大きな需要があったのだが
しかし光加熱用の光熱源としては今後さらに用途が拡大していくだろう。なにしろハロゲンランプの全光放射への変換効率は85~90%に達する。LEDも放電灯もレーザーもこの変換効率には決して達しないと思う。それにパワー密度がスゴイ。 例えばランプの体積1cm^3程度から100w以上の放射をする。おまけに自身の耐熱は900℃に達する
ハロゲンランプやLEDの様な高輝度光源を有効活用するには反射鏡と組みあわせるのがベストの場合が多い
私がハロゲンランプと反射鏡の組み合わせに取り組んだのは1980年頃だった。 φ50mmのガラス製反射鏡に多層反射膜を付けたコールドミラーに12v-50wクラスのランプを組みあわせた物だった。このミラー付きランプはGE社が先行し、正確な配光制御がなされていた。このミラー付きランプは照射角が13度,26度,38度の製品があった。この商品はその後、宝飾店,ブティック,レストラン等の店舗照明用で非常に大きな市場を作った
ヒットの要因は反射鏡を組み合わせることで発光効率の悪さをかなりカバーできたことと、ガラスに多層反射膜(コールドミラー)を付けたことによる熱影響の少なさと、 見栄えが良いことだろう。このミラーはランプを点灯すると背面に逃げる透過光が赤紫色の幻想的な色を放つ。捨てている光だが無駄になっていない
コールドミラーとは可視光線のみ反射して赤外線及び赤色光の一部を反射せずに透過させて背面に逃がす。だから照射光はあまり熱くない。赤外線だけでなく赤色光の一部を透過させて捨てるのは、ハロゲンランプの色温度を少し高める効果がある。つまりハロゲンランプは色温度が低い(光色が黄色っぽい)のが一つの欠点でもあるが、赤色を減らすことにより色温度を上げて白っぽい光にできる
GE社をまねて国内のウシオ電機や岩崎電気、海外のフィリップス社等も出し始めていたが、配光制御は全くまともな設計では無かった。GE社は反射面をちゃんと計算して設計しており、所定の角度にかなり均一に光を配光していた。しかし前記したGE以外の各社はちゃんとした設計ではなく、例えば鏡面にディンプルを付けて適当に光を拡散させている程度の物だった。配光制御の差は歴然としており、技術的にはかなり恥ずかしい製品だった
例えばGE製はくっきりとした円形の配光となるが、他社の物は境界のはっきりしないぼんやりとした配光だ。商品としては好みの問題かもしれず、そんなに気にする事でもないのかもしれないが、私にとっては技術力の差を痛感させられた – – - 
フェニックス電機もこれに取り組む事になったが、目標をGE製におくならば一番簡単なのはGE製をまねてコピー品を作る事だが、それはフライドが許さない。それにそんなまねッ子していると、全く応用が効かない。例えば30度配光の品物が欲しいといわれても対応できない
ならば色々と試行錯誤して作るという方法(GE社以外が採用している方法)もあるが、 そのころのガラス用金型は500万円もしたので、試行錯誤も許されない。(500万円というのは当時の国内独占的業者だった東芝ガラス社に吹っ掛けられたぼったくり価格ではあったが。本当の相場は100万円以下だったらしい)
金属鏡で試作確認するという方法もあるが、最終形を多面鏡(マルチミラー)とするならば、金属鏡でも試作は安くはない。まあ実際にはNC旋盤加工の金属鏡で近いところまでは試行錯誤で到達するだろうが、あまりにもスマートではない。私の趣味ではない
それに会社としての要求納期はそんな試作をする余裕も無い状況だった。そこでとりあえず最初はナロー角(13度)を作ることにした。ナロー角は比較的作り易い。単純な放物面でもそこそこの配光角(約8度)が得られる。だから基本カーブは放物面とし、多面構成の反射鏡として、それぞれの小ミラー面を凸面にして配光角を少し広める事とした
この設計で500万円使って金型を作った。結果はまあまあだった。しかし後で分かったが、この設計ではランプとミラー面が接近しすぎたためにミラー面の一部が高温になり耐久性に問題があった。それに致命的ではないものの、やはり丸いくっきりとした配光パターンではなく中心が一番強く周辺がだらだらと暗くなるという放物面鏡特有の配光だった
次にワイド角(26度,38度)の設計にとりかかったが、前記したような安易な方法ではとてもくっきりした円形の配光パターンは得られない。そこで設計アルゴリズムを色々考えた。レンズ設計などでの光線追跡なども考えたが、深い形状の反射鏡には対応できない
ふとした思いつきでミラーを微小ミラー面に分解し、その微小ミラー面をピンホールカメラの穴と考えてみることにした。すると光源はそのピンホールカメラの原理で拡大投影されることになる。その微小面が扱った光の量はランプの配光特性から計算できるから、微小ミラーが作る配光パターンは分布と明るさが正確に計算できる
設計 http://www.fintech.co.jp/sah/hikari-kougaku.htm

HP  http://www.fintech.co.jp


これができればミラーを構成する全ての微小ミラーについて配光を計算し、加算していけば全体としての配光が計算できることになる。ただこの方式では各微小ミラーが狙うべき照射面上のターゲットポイントは指定してやらなくてはならない。このターゲットポイントを指定することで配光が正確に計算でき、その配光結果を見て目標に近づけるべく修正をかけてまた計算してみる、という試行錯誤が必要な方法だった。 試行錯誤は最低でも3回は必要だった。 実際には気が済む配光にまで追い込むには5回、 10回とくり返さなくてはならない
このような計算はとても手計算ではできない。しかし当時のパソコンは8ビットCPUの時代であり、インタープリタのBASICでプログラミングした。これがとても遅くて設計式を相当簡略化しても計算結果が出るのに何時間もかかった。 それを何回もくり返すのだから大変だ  

しかしこの方法で何とかワイド角のミラーを設計し製作したが、ほぼ狙い通りの性能が出た(狙いの配光角が26°に対して約24°と少し狭かったけどね)。配光の綺麗さではGE製よりも良かったと思う。この原因はミラー奥の一部分を使って横型フィラメントであるがために生じる配光ムラを打ち消す処理をしたためだった。 この様な事ができたのもGE社のコピー品を作らず基本設計方式を確立できていた効果だ 
この結果を見て本当にほっとした。 なんといっても金型の1トライに500万円もかかるのだから
そんなわけでGE社の製品と同等以上の性能となり、それ以外のメーカーとははっきりと差が付いた。 このミラー付きハロゲンランプはその後P社の主力製品となり、数十億円/年の売上に貢献した。最初に設計したナロー角のミラーも設計変更した事は言うまでもない。ワイド角のミラーも次の金型更新時に微調整した
この商品は当初価格が@\600~\800だったので自動化設備により大きな利益が出た。しかし5年後くらいから安い中国製品が台頭してきて、P社も値段を下げざるをえなくなり、最終的には100円台になった。中国製品のおかげでハロゲンランプはすごく儲かる商売でもなくなった
ところでこのミラー設計ソフトはその後16ビットパソコン用, 32ビットパソコン用とアップグレードし、 設計の精度も計算速度も各種付加機能も大幅に向上していった。しかしそのころ(1990年頃)の32ビットパソコンはCPUクロックが2MHz程度であり、現在のパソコンとはレベルが全くちがう。クロック速度の差は1000倍にもなる。現在のパソコンならばもっと正確な配光計算が高速でできる
最初は光源として球光源のモデルで計算させたが、最終的には光源として5個の球体光源を直線に配置(重なり可)する事で実際のランプのフィラメントを近似した。光軸に対して横方向と縦方向配置も指定可能とした。また設計したミラーに対して光源位置を移動させたり、照射スクリーンまでの距離を変化させたりして配光の変化を見れるシミュレーション機能も追加した。これは便利な機能だった
また円形配光だけではなく、長方形の配光などにも一応対応させているが、実際に設計してみるとくっきりした長方形にはなかなかならない。それなのにミラー面は極端に複雑な形状となり生産性やコストに問題がありすぎる
このころの私はパソコンのソフト開発に凝っていた。しかし使用言語はBASICのままだった。プロの人たちの様にC言語には行けなかった。BASICに馴染んだ頭にはCは分かりにくく、またソフト開発を本業にする気もなかったから「これでいーか」で済ませた。それにBASICもコンパイルすると結構速かったし – – –
P社を辞めてからはこのソフトのアップグレードはやっていない。この設計ソフトは現在当社でも光加熱の計算に使っているが、当時の配光計算の精度で十分なのでアップグレードはしていない。ただしP社からの依頼もあり、Windowsには対応した。 私は最近パソコンのプログラミングからは遠ざかっていたので、増岡氏に依頼してExcelベースで作っていただいた
さすがに現在のパソコンでやると、ほとんど待ち時間なく計算をやってくれる。だから現在のパソコン用にプログラムを改良すれば、光源のコイル形状(らせん状)も再現でき、スクリーンに照射したときにできる渦巻き模様も再現できるだろう。しかしそこまでの機能が必要とされることは無いだろう
(有)フィンテックになってからは、ランプそのものよりも、その応用製品に取組んだ。 照明用としての用途には未来はないから、もっぱら加熱用だ。点状や円形上にランプ光を集めて高温加熱する「ハロゲンスポットヒーター」と線状や帯状に光を集めて加熱する「ハロゲンラインヒーター」,面状に光で加熱する「ハロゲンパネルヒーター」等々
これらは最高1800℃程度の加熱が可能だ。しかも温度コントロールは自由自在であり、 究極的なクリーン加熱で真空中での加熱もできる

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                   φ60タイプ    450w               


しかしこれらの製品には熱風ヒーターの様な他社を圧倒する特別な技術は含まれていない。 これは私としては少々おもしろくない所だ。 だからHDコイル発熱体を使った遠赤スポットヒーターでも作ろうかと思っている

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    ラインヒーター   長さ2mの物も製作可能。電力(パワー)も10~15kwが可能
スポットヒーター http://www.fintech.co.jp/sah/hsh1.htm

ラインヒーター  http://www.fintech.co.jp/sah/hsh2.htm

パネルヒーター   http://www.fintech.co.jp/sah/Panel.htm

Home      http://www.fintech.co.jp

雑談
私はけっこう新し物好きで、パソコンは本当に初期から使い始めた。ただボードマイコンの時代は仕事の関係もあり取り組めなかった。だから本当のハードウェアや機械語, アセンブラはパスしてしまい、メーカー製パソコンとBASIC言語から始めることになったのは少し残念だった
当時(1976年頃?)はシャープMZ80やNEC6001の時代であり、私はMZ80Cを購入した。こいつはメインメモリが確か32kB~64kBで外部記憶装置が音楽用カセットテープという代物だった。起動するには毎回テープからBASICを読み込まなくてはならない。たまらなくスローで窮屈な世界だった
メモリが少なかったので大きなプログラムも組めない。代わりにBASICにはchainなどという命令がその後追加され、複数のプログラムをつなぐことは出来たが、何しろハードウェアの能力でソフト設計が制限されていた時代だった。ハードの制約を気にせずにプログラムが組めるようになったのは32ビット機の時代になってからかな?それでも画像を扱うのはたいへんだった。何しろ1990年頃はハードディスクの大きなものでも100MB程度、価格も50万円~100万円だったから
話が1976年頃にもどるが、そのうちシャープから外付けのフロッピーディスクユニットが売り出されたので、当時の給料1ヶ月分以上(約30万円)をはたいて買った。5インチの2ドライブユニットだったが、容量は256kB程度だったと思う。今から考えると信じられない低スペックだった。当時はディスク容量の単位がキロバイトの時代、現在はそろそろテラの時代だ。 それでも一応ランダムアクセスだから使い勝手はカセットテープとは比較にならない
これでようやく私のパソコンも実用域に入ったのでランプのフィラメント設計などに使った。電卓よりははるかに早く複雑な処理も出来た
その後、富士通がマイクロ8というのを出したので、それに乗り換えた。その時点ではマイクロ8はベストな選択だったと思うが、NECを選ばなかったのは結果として失敗だった。後になるほどNECの寡占状態になったので、肩身の狭い思いをする事になった。 しかし機種変更は面倒なので惰性で富士通16ベータ、FMRと富士通路線を通した。現在でも会社使用を含めるとパソコンを8台ほど使っているが、富士通製が多い
富士通ファンとしては富士通さんのパソコンへの取り組みには不満も多い。製品の信頼性が高いのは認めるが、出来れば独自企画で世界制覇を目指すようなチャレンジをしてほしいと思う。独自規格のキーボードやワープロソフト等もあきらめがよすぎた

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